石川誠二の診断士日記

中小企業診断士の雑記帳です

読書日記(5) 韓非子 組織サバイバルの教科書

読書守屋淳さんの本です。
 久々に300ページ超の本を一気に読みました。面白かったです。備忘録を兼ねてこのブログを書いています。
 韓非子については、この本を読む前までは中国の春秋戦国の時代に厳しい法律を以て国を治めることが重要と説いた法家の一人で、秦の始皇帝が皇帝になる前に自らを売り込んだけれど、権力争いに巻き込まれ殺されてしまった、くらいの知識しか持っていませんでした。
 守屋さんの本の中では、そうした韓非子の考え方、思想を儒教の考え方と対比して分かりやすく解説してくれました。
 そもそも孔子韓非子の間には200年以上の時代の差があり、その時代背景が全く違うとのこと。孔子の時代は、会社に例えれば、「業績は悪化して社内の雰囲気もいいとはいえませんが、創業当時の精神を取り戻せば、今からでも十分立て直せます。」という時代。韓非子のころになるといよいよ悪くなって「そんな牧歌的な時代は終わってしまった。」時代ということです(p77)。
 そういう時代に韓非子は人を信じても裏切られるので、法をもって組織が永続する仕組みを作ることが重要と説いたわけです。
 そして人は利によって動くものだから賞罰が大事、そこにはお世話になった方だからとか年長の親族だからといった儒教的な上下関係は入り込む余地はないと考えたのでした。
 守屋さんによると、韓非子始皇帝のところに売り込みに来たのは、始皇帝の母親と浅からぬ仲にあった呂不韋が宰相として権力を持っていた時代に重なっていて、儒教的な価値観では呂不韋に頭が上がらないことになってしまう、これでは国は治められない、ということで韓非子を重用しようとしたという説明は大変説得力がありました。
 賞罰を法により行うにも、国という組織になれば全部を主君が行えるかけでもなく、担当する部下を置くことになります。そうすると当然、実際に賞罰を行うものに派生的な権力が生じます。韓非子はそれに対しても答えを用意しています。それを「術」と呼んでいます。法が表であれば術は裏。家臣の暴走、結託を押さえるための手段です。韓非子は7つの術が必要と言っています。以下は守屋さんの訳(p191~192)。
1.部下の言い分をお互いに照合して事実を確かめること
2.法を犯した者は必ず罰して威信を確立すること
3.功績を立てた者には必ず賞を与えて、やる気を起こさせること
4.部下の言葉に注意し、発言に責任をもたせること
5.わざと疑わしい命令を出し、思いもよらぬことをたずねてみること
6.知っているのに知らないふりをしてたずねてみること
7.白を黒と言い、ないことをあったことにして相手を試してみること
少し家臣が口裏合わせをしようとも、こう揺さぶられてしまえばぼろが出ます。また現代の経営者が「韓非子」は経営の役に立つ、と公言したらちょっと嫌われそうな内容です。ですから、韓非子は実際経営者には読まれているけれど、読んでいることを口外しない本だということです。
 また、一番驚いたことですが、上記の4.にも関連するのでしょうが、刑名参同という考え方です。刑は形の字を使うこともあるようです。これは、「部下の悪事を防ごうとするならば、トップは部下に対して「刑」と「名」、すなわち申告と実績の一致を求めなければならない」という考え方です(p126)。まさに現代の目標管理です。少し違うのは、申告より大きな成果を出しても処罰の対象になるとか。これは私の感想ですが、この場合の申告は自分の職能定義のようなものではないか、と。こう考えて自分の中では納得しています。
 このような韓非子の考えに基づいて法を整備した秦ですが、始皇帝没後、あっけなく崩壊します。韓非子の考えた組織が永続する仕組みはできなかったわけです。ただ、韓非子には「相手の地位にこだわって、さまざまな情報を突き合せず、寵臣一人だけを情報源としている。このような君主は我が身を滅ぼす。」という指摘があります(p188)。まさに秦の二世皇帝胡亥は、宦官の趙高ひとりに家臣との窓口役を任せてしまったため、身を滅ぼしたのです。法はあっても術が伴わなかったのですね。
 また「逆鱗」という言葉も韓非子のなかの言葉だそうです。いかなる君子でも触れてほしくないことはある。家臣の一人として法と術による国の統治を提言する立場でも、そういうところに触れてしまえば提言が用いられないどころか、命を失うことになる。そういう意味だそうです。現代のコンサルタントとは覚悟が違います。いろいろと考えさせられた本でした。