読書日記(2) アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した
ジェームズ・ブラッドワース著 濱野大道訳 です。
かつてイギリスの産業を支えていた炭鉱が相次いで閉鎖され、産業構造の変革についていけない労働者が溢れる一方で、EU域内では労働力移動が自由なため、ルーマニアやポーランドからいくらでも代替可能な労働者が低賃金で補充可能になっている。
一方で、巨大IT企業がそのサービスを実現させるために、労働者には”アルゴリズム”の指示のもとで忠実に働くことを求める。そこには働き甲斐など無縁で1900年代初めころを思い出させるような歯車として組み入れられた労働の実態があった。
この二つ大きな流れの交点に、イギリス人の著者が自ら身を置き、その体験を書いてくれています。時期的には2016年、そうイギリスがEU離脱の投票で揺れていた頃です。
単にブラック職場の告発本として読んで、いくつかのひどい契約やらきつい仕事の実態の事例を話のネタに記憶するだけでは残念です。
自由化、国際化、そしてITによる高度サービスの実現といったきれいな言葉の裏で社会がどう変わっていくのか、日本も無縁ではないどころか諸外国に負けじとこうした変化を進めていることに、考えを巡らせることができる本です。
もう一つ、この本が書かれたバックボーンとして、イギリスの固定化された労働者階級と中産階級の現実があります。これは日本人には、少なくとも私には頭ではわかっているつもりでも実感としてついていけないところがあります。
そもそも労働者が”ガーディアン”に体験談を語る時間も余裕もない、という筆者の指摘や、H.G.ウエルズの小説「タイムマシン」に出てくるイーロイ(地上で生活する持てる種族)とモーロック(地下で労働する種族)の関係に似ている、という記述にその厳然とした壁のようなものを感じました。
まあ、実際にはイギリスの階級社会の素地のもとにイーロイとモーロックの話をH.Gウエルズが書いたのでしょうが。
そうそう、私はこの本はアマゾンで買いました。おそらくは川崎にある自動化された物流センターから来たのでしょう。この本で書かれた職場に自動化、AI化の波が押し寄せたとき、社会はどうなるのでしょう。
おやっと思った文章
p327 エピローグ
「そのような政治家にとって労働者階級とは、解放すべき人間などではなく、むしろ資本家階級に対抗するための手段であった」